コーヒーすらも

 コーヒーを飲むのが好きである。とりあえず、コーヒーを飲む、というのが、わたしの生活の一部になっている。それは、からだにもいいが、あの苦味によって、気分がはっとなる、というメンタル的な効果も期待している。

 メンタル的というと、メンタルは、たしかに動かしがたいものだなと思う。そんなに、簡単に、コントロールできないというか。コントロールできないので、仕方ないと思いつつ、やはり気分が上がり下がりするときは、忙しなさを感じる。本当に、それは、嫌なことだ。

 はっきりいって、そういう感情の上がり下がりについて、わたしはよく知識を持たない。知識を持たないから、わたしは、自分が今どのような状況にいるのか、ということを、素手で把握してきた。たとえば、わたしは、いま昨日よりもひどく混乱しているな、あるいはわたしの今日の調子はすこぶるよく、人ともうまくコミュニケートでき笑いすらとることができるな、とか、感じていた。

 そうやって、自分のことを把握することが、わたしにとってはひどく大事なことである。わたしは、それによって自己が不安定になり、安定化させたいと望む。自己の不安定さこそ、わたしにとっては、それは無条件に排さなくてはならないと思えるほどの不愉快さなのだ。