バキの5部がつまんない理由についての感想

 バキについて。バキは現在5部まであり、次の6部があるらしい。ジャックとバキが戦うっぽい。ジャックとバキの兄弟対決をまたするらしい。しかし魅力的になるかは甚だ疑問である。

 バキは、もともとあんまりストーリーがない。敵が、たとえば範馬勇次郎が、なんか陰謀を起こしたりしないし、いつも敵はファイトしたくてたまらない。それは主人公もで、すぐ好敵手=友がいればバトる。ストーリーがないというのは、謎とかがなく、たとえば範馬勇次郎は、実は〜だったとか、そういうことはない。というか、そういう謎解きで読者を引っ張らないというか。単に面白いバトルを描いて、その面白さで読者を引き付けるというのが、バキのいいところだった。

 でもまあ、今はそのバトルが面白くない。5部は、相撲取りの強さ、とくに十秒という普通の格闘技では考えられない短時間で試合が終わるがゆえに生まれる「十秒の密度」、に切り込もうというコンセプトだった。板垣は気が変わりやすいが、いちおう今回もラストバトルは十秒で決着がつく。かなり難いことをしてるわけである。十秒というのは、まあはっきりいって、書ける枚数も少なくなり、本当に密度を高め、しかも一瞬の攻防を豊かにする、ということをしなくてはならない。それはかなりやりがいのある課題で、達人同士の間の、表面上の簡素さの背後にある膨大な現実化されない潜在的な攻防の密度なんかを書ければ、それは本当にすごい。 

 しかし、まあ本体のストーリーもぐだぐだったが、蹴速がでてきて意味わからん無敵宣言をしたりと、しかしそんなことは重要ではない。なぜならバキの本質は、心情描写やエヴァ的な世界の謎の開示ではなく、即物的なバトル、殴り合い蹴りあいの面白さだから。その面白さが、結局6部ではだめだった。

 結局コマ送り的に刃牙宿禰のバトルを見せて、一瞬の隙をついた顎への攻撃で宿禰が沈む、というものだ。もちろん、ここは詳細に時間が過度に分割され、その一瞬一瞬に着目すべきであり、要約=ストーリー=単純化、では伝えれないところがあるはずで、詳細に分析なんかしなきゃいけないところだろう。しかし、はっきりいって、その密度は全然ない。それはまあ、そのバトルだけの問題ではなく、今まで宿禰がしてきたバトルの内容が薄く、そうしたバトルの経験が堆積するということがなく、そうしたバトルの積み重ねの結果、この十秒のバトルはこうなった、という因果関係にないのもある。今までのバトルがくだぐだすぎ、また内容が薄かったので、別に最初のバトルであってもいいくらいに、時間経過による経験値の溜まりのようなものがなかった。

 まあ、だから、全然はたからみてると、刃牙がよくやる顎へのクリーンヒットで雑魚が排除されたかのようにしか見えない。まったく、無意味だ。なんだったのだろう、この5部とは。