パンナコッタ

 特に書くことはない。意図的に書くのは難しい。なにか書きたいと思っても、うまく書ける訳では無いし、書こうとするとあらゆることがバラバラになる。というか言葉の自動機械になってる気がする。それはとても悲しいことだ。わたしはわたしが書いてるのではなく、言葉に書かされている気がする。本当に嫌なことだ。誰も基本的には、それを見ることがない。わたしの先はまったくなさそうだ。仕方ない。コーヒーでも飲むか。コーヒーでも飲むか、なんて文章は書くつもりがなかった。ちゃんと意図して書くのではない。ぜんぜんわたしが書いたものではないんだ、この文章は。そうなると、気が楽になる。わたしが書いたわけではない。いやでもわたしの濃度も少しはある。

 なにを書こう。わたしは書くことがないことに、辛さを感じる。もっと、といっても前よりはだいぶ、うまくなった。書くことが。しかしわたしはなにになりたいんだろう。審判を恐れているのだろうか。しかしとにかくするしかないのではないか。まあとにかく書くしかない。

 わたしは空を見ていました。見ていたんです、よかったね、といわれました。いわれたので、しました。幸福でした。なぜ幸福か、そんなことはしらない。よかったわけである。詩をもっとラフに書きたい。書くことは難しすぎる。ちゃんと読者のことを考えて!なんでそんなこと考えなきゃならんのだ、アホらしい。コミュニケーションは面倒臭い。もっと自己享楽的にやりたい。それが文才か。俺には文才はねえ。私小説的に書くんか。よおわからん。はっきりいってよくわかんない。

 わたしは侵略していた。そういうわけだ。侵略するのは楽しいよ、とわたしはいった、蛇みたいに。そんなこんなパンナコッタ。意味作用なしでやりたいなあ。そんなことできるかなあ。わかんないなあ。でも評価はほしい。